晴れた日は日和下駄履き街歩き

思いつくまま、気の向くまま。

愚かな判断

速報だが、阿部さんが平昌オリンピック開会式を欠席とのこと。愚かな行為。韓国政府とオリンピックとは別物。今こそ大人の知性を示すべきなのに。そんなところで国の尊厳を示すより、沖縄の人々を苦しませる、米軍の相次ぐ不祥事に声を上げるべきだ。心底では日本人として、政治家として自国民を守れない情けなさ、歯がゆさを痛感しているはずなのに。相手が米国では、「はい、ごもっとも」と言わざるを得ない。一方、対韓国では相手を攻めるばかり。あまりに落差が大きい。ガキの言い分だ。

1月5日(2018)

曇天。小寒-芹乃栄(せりすなわちさかう)。東御苑。job良。アルフレート・ブレンデル誕(1931)。マウリツィオ・ポリーニ誕(1942)。ブレンデルは南向・明晰。ポリーニは精緻だがイタリア的な陽気さや暖かさはない。性格が音楽に表れるのが?。

○昨日の上げ後でMはいつものように、今日下げると思ったが踏み止まる。そろそろ見直されてよい。不満は本業が冴えないこと。

1月4日(2018)

快晴。日脚伸び6時半でもう明るい。J久しぶりに良し。酒井抱一忌(1829)。68年を2度生きた人。富裕大名の次男坊に生まれたサブの運命。前半生はスネたか趣味に遊ぶフラフラした生き方を送る。後半生は出家、百年前の「光琳」を再発見、目覚め独自の境地に至る。 ○日経平均株価23500円、メディネット136円。そろそろ目覚めか。 

1月3日(2018)

快晴。夕から風寒い。藤原道長忌(1038)。晩年ライバルを排除した後、月欠けること無しと、わが世を謳歌し天皇と並ぶ威勢に生きた人。ただ最初から順風満帆ではなかった。他の朝臣・兄弟・親戚・…。5男の道長には沢山の政敵がいた。権謀術数でそれらを追い落としての天下だった。運と時勢の見極め、忍耐、諦めない意思、現代人からは想像できない上昇指向の執念だ。生命力もあった。判っているだけで妻は5人、子は12人もいた。それにしてもこの時期、天皇の権威など全くなし。歴史上でも異例の時代だ。 

1月2日(2018)

快晴。徳川家康の片腕で秀吉との交渉役を担った石川数正が豊臣方に寝返る(1586)。数正は秀吉の器量に、秀吉の才に惚れた。肝胆相照らした両者だ。家康は手堅い人で最後はこういう人が勝つだろうが、陰湿で面白みがなさそう。またローカル時代の小姑ライクな家臣が鬱陶しい感じ。対して、秀吉は小者からの成り上がりであり、後半はイヤな奴になってしまったが、陽性で気宇壮大なイメージ。尽きるところ性格の好き嫌いか。

1月1日(2018)

快晴。日本で太陽暦が採用(1873)、旧暦では1872年12月2日の翌日。この時から、1日が1440分・24時間となった。日本人はこれを境に、神仏はカネ、他人を押しのけろ、戦争が好き、恥を忘れた。温和な日本人を改造したことは、明治のヒットだった。やり直すには、日の出を一日の始まりとし、日の入りを一日の終りとすることだ。そうすれば江戸の世に戻る。

○元旦や上々吉の浅黄空(一茶)、今日の空だ。正月気分が失せたのは何時からか?私見ではパソコンの普及以来だ。ケータイ時代以降はますます。

12月31日(2017)

曇。立冬-雪下出麦(ゆきわたりてむぎいずる)。「元旦や松静かなる東山」(高桑蘭更)。京都まで行かなくても正月の市中は静かだ。

○107代後陽成天皇誕(1571)。15歳で即位。時代は秀吉・家康の時代だが、単なるロボットではなかった。秀吉の朝鮮攻めに反対し、後継でも家康と対立するなど骨っぽい面もあった。学者であり潔癖な面がある。