晴れた日は日和下駄履き街歩き

思いつくまま、気の向くまま。

1月11日(2018)

快晴。全国で厳しい冷え込み。今日の花は日本水仙。ただでさえ花の少ない時期に印象の強い花だ。春、凛という言葉が似合う。「水仙や寒き都のそこかしこ」(蕪村)。「登り来て崖一面の水仙よ」(伊藤三和)。「水仙のこの道をゆくばかりなり」(伊藤多恵子)

足利義輝が近江坂本で将軍職に就く(1581)。将軍とは名ばかり。家来と争い、その度に近江の地に逃げ込んだ。当に下克上の時代だった。歴史上でも琵琶湖を抱える近江国は特別な場所だった。白村江で敗れた天智の避難したのが近江なら、継体の出身地も近江だ。新羅征伐の神功皇后も近江と関係が深い。なぜか?北の敦賀の先は日本海朝鮮半島も間近、人々の往来、交易にも利便がある。西は比叡など山が連なり天然の要害を成す。逃げ込むには格好の地だ。南と東は道が四方八達、交通の要衝とならざるを得ない。 私見だが、近江の地は渡来人の根拠地だったのでは、思う。新羅百済からは日本海を渡って敦賀に至ればわけなく琵琶湖に出られる。先進文化はまず近江に到来し、奈良や京都に伝わっていったのではないか。文物のみならず王権も渡来人の関与が大きいのでは?。事情は不明だが、12景行は晩年に都を近江に。14仲哀は敦賀から九州へ向かった。古代の天皇が都を決める場合の要因は味方がいること。近江には何かあったのだ。