晴れた日は日和下駄履き街歩き

思いつくまま、気の向くまま。

1月23日(2018)

快晴。昨日の雪は夜半に止む。脅かされた割には大雪にはならず。晴れると暖、昨日の雪は溶ける。「日の当たる窓の硝子や福寿草」(永井荷風)。陽が陰ると花を閉じるという。

○北原怜子忌(1958)。「蟻の町のマリア」。天使である。戦後混乱の真っ只中、元ヤクザの小澤求は隅田川沿いの土地を借りて廃品仕分け場を設けた。貧窮する人々が町中から空きや割れ鍋などの廃品を持ち込むと小澤は即金で買い取り、再生工場へ転売するのだ。彼らは「バタ屋」と呼ばれた。いつか仕分け場はその日暮らしの貧しい人達の共同体となる。「蟻の町」だ。そこへ現れたのが、北原怜子だ。敬虔なクリスチャンの彼女は行動を起こす。学校に行けない子どもらに勉強を教え、一緒に遊び、自ら仕分け作業さえした。キリストの教えも説いた。初めは蟻の町に通っていたが、いつか蟻の町に住み着くようになった。先ず子どもがなつき、親たちも彼女に惹かれていく。人々はいつか怜子をマリアさまと慕った、手を合わせた。しかし彼女の献身は終焉を迎える。無理がたたり、羅病していた肺結核が悪化し、遂に怜子は天に召される。28年の短いが、密度の濃い生涯であった。キリスト教には全く無知だが、北原怜子といい、小澤求といい、天使というものは確かに存在するのだ、と思わざるを得ない。私は感動した。

○Mynews 「隣の普天間中との間を縫うように百数十メートル離れて飛行した」(米軍)vs「両校の敷地は120メートルしか離れていない」(沖縄県)。米軍言い訳説得力なし。