晴れた日は日和下駄履き街歩き

思いつくまま、気の向くまま。

9月7日(18)

曇。秋雨前線。蒸し暑し27.7-30℃。 


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○Idea

◆札幌地震交通機関車中泊。停電=冷蔵庫・TV・ラヂオ・ケータイ・照明。水や食料不足=輸送手段。病院や施設=自家発電燃料。健康=不眠・不安。医療=酸素ボンベ。

アジア大会柔道での座り込み抗議、U18野球でのグラブ踏みつけ、韓国人。自己主張の強さ、日本人には違和感、whyああまで拘る?。

○Touch

◆磐白の 浜松が枝を 引き結び まさきくあらば またかへり見む(万141)

*秀歌ではないが、怨念っぽい短歌だ。有間皇子が絶望して詠んだ、とある。有間は孝徳天皇の子だ。孝徳は姉の皇極天皇から皇位を継ぐ。事情はこうだ。中臣(藤原)鎌足は、中大兄皇子をけしかけ蘇我氏を滅ぼしてしまう。しかし中大兄は皇位につかない。鎌足が就かせなかった。大伴・阿倍氏の勢力があり、中大兄・鎌足の権力独占を許さなかったのだ。妥協の結果として孝徳天皇が誕生したのだ。中大兄・鎌足の誤算は傀儡の筈だった孝徳が意外とやる気を出したことだった。孝徳は飛鳥から難波に都を移し、仏教を基盤とした国内統治を重視した政策を採る。百済を支援し朝鮮進出を狙う中大兄・鎌足勢力は焦る。蝦夷・入鹿親子を血祭りに挙げ、蘇我氏を亡ぼした意味がなくなってしまう。遂に行動を起こす。孝徳天皇をひとり難波に残して、一斉に味方の多い飛鳥の地へ戻ってしたったのだ。何と姉の皇極まで行ってしまう。気落ちしたのか孝徳天皇は直に亡くなってしまう。残された孝徳天の子の有間皇子をも危険と思ったか、謀反の罪を着せて処刑してしまうのである。以上のような経緯経ての有間の歌なのだ。どこか客観的な趣で混乱の最中にあり当事者間のものとは思えない。有間の悲劇を慮った後代の作という気がする。