晴れた日は日和下駄履き街歩き

思いつくまま、気の向くまま。

龍神社(千葉県船橋市海神町)

龍神社(千葉県船橋市神町

本殿の彫り物がすばらしい。流造の平入り部正面(南面)を除いた三面に精密でシャープな彫刻が隙間なく施されている。明治中期の作らしいが、古さを感じさせない。というよりたった今、刻印されたような明確さをもつ。氏子や地域の人々から大事に守られてきたのだろう。使われたケヤキの品質も高かったのだろうと思う。

本殿を覆う屋根を設え、金網で守っているためすぐそばまで近寄ることができない。離れた位置から双眼鏡で覗くため何が描かれているかは不明分である。ただ祭神に関連したものではないようだ。龍神社といいだけに祭神は水である。具体的にはオオワタツミである。

さて彫り物を観察しよう。左回りでまず東面、烏帽子を被った武士らしい人物が左手に軍配を持ち立っている。その左側に一人の女が男に何かを捧げ渡そうとしている。立場は男の方が上のようだ。次は北側だ。真ん中に大きな壺がある。後ろから男が顔と両手を見せている。登ろうとするのか、壺の蓋をあけようとするのか。周りの人物がけしかけているようにみえる。最後に西側に回る。四人の男がいる。一人が一段、高いところにいる。他の三人がその人物を崇め仰いでいるようにみえる。

こうした造形は、およそ龍神を恐れ、崇めている光景とは思えない。では何を描いているのか、と問われても答えはないのだが、何かの物語を描いているのだろう。ぜひ知りたいものだ。



ここで神社の性格についてふれておく。今では面影が全くないが、昔、神社の裏側を川が流れていてそれが東京湾に流れ落ちていた。その川の流れを龍神になぞらえたというのである。

最後に神社建築の様式についてふれておく。鳥居は東に向いているが、元々は南面し海に向いていたのだろう。鳥居はコンクリート製の靖国型、注連縄はなんという形式なのかロープのような形式、紙垂の形はは吉田流である。出水舎はなく、清掃もあまりされていないようだ。本殿は総ケヤキ製の流造である。

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尾山台伝乗寺五重塔

 

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【佳景訪問】東京では平成に入ってから五重塔の建立が増えブーム化しています。また外見だけを見れば木を使った伝統的な造りが目立ちます。さらに形も美しい。これは塔の好きなタワラーにはこたえられません。写真は世田谷・尾山台の伝乗寺の五重塔です。現代的で華奢な造りですが、色気と品格があります。いずれも国宝の奈良の室生寺や山口の瑠璃光寺とちょっと似ているなと思ってしまいます。

日和下駄

15年7月26日(日)〜8月1日(土)

 

 暑い、暑いの一語に尽きる一週間だった。26日33.1、27日35.0、28日34.1、30日34.3、31日35.0、8/135.3.もっともこれらは東京北の丸公園の条件のうおいところでの最高気温だ。小生の腕時計の気温計はこれを4℃常に上回っている。これをこのクソ天気と恨まずに、「陽光を与えていただきありがとう」、と素直に感謝するのが神道である。梅雨明け以来の夏風邪がここにきてやっと癒えてきた。私の神さま、感謝します。

 一方、世の中、とくに政治の世界は神の道に反することばかりしているね。あまり神さまを無視して罪つくりなことばかりしていると大きな祟りが起きそうだ。

 

 さて最近の小生の流通エッセーを掲載します。

 

小売1

 

 小売り店頭で宅配便を受け取るという発想

 

 今や宅配便の扱い個数は年間で35億個にもなるが、ここにきてのネットショッピングの爆発的拡大を考えれば、今後ますます増加するのは確実だ。目下の悩みの種が再配達の問題である。不在のため再配達となるケースが2割近くにのぼるという。指定時間配達の場合でも15%以上が再配達となるそうだ。宅配便が社会インフラとして機能する現状を考えるとこれは看過できない改善すべき課題だ。放置すれば宅配料金の上昇にもつながりかねない。国土交通省も検討を始めた。まだ緒についたばかりだが、今のところ宅配ロッカーボックスの設置を促進させる等の案が出ているようだ。もっとも宅配自体が本質的な欠点をもつ可能性もある。「受け取れる時間に帰宅することは不可」、「休日も出かけるので受け取れない」、「家にいてもトイレやお風呂に入ることもできない」、「そもそも知らない人に自宅を訪問されたくない」・・・。これは生活者の偽らざるホンネだろう。ひとつの発想は小売店の活用だ。事実、ヤマト運輸では宅急便の受取を最寄りのコンビニに指定できる。アマゾンやディノスも同様のサービスがある。コンビニに限らず小売店舗を宅配便の受け皿として利用することは利用者コスト不要で現実的な方法と言える。

 

 

小売2

 

 買い物不安を減らすお試しショッピング

 

  買い物の際、「間違った判断をするのではと不安に思う」という問いに「そう思う」と答えた割合は46%。ある消費者調査の結果である。多くの人々が自分の購入判断に自信を持てないでいることを端的に示すものだ。ネットで買い物をすることが当たり前の昨今、この不安はさらに高まらざるを得ない。今回、紹介するお試しショッピングは、そうした消費者の心理的バリアーを解きほぐすための選択肢のひとつだ。購入を判断するまでの“お見合いサービス”とも言えようか。事例を挙げよう。「スタイリクス」は家具、インテリア一式をレンタルで利用・購入できる。まず購入代金の30%を最初に支払い、その後は毎月、代金の3%を支払っていく。いつでも返品できその際は、初期に支払った3割分が戻ってくる。「プレジャライフ」はワイシャツで同様の展開をする。実際に使用しデザインの良さや着心地の具合、メンテナンス難易を体感できる。価格が1万〜1.5万円のものが月額980円で試すことができる。気に入れば残金を支払い購入もできるシステムだ。ここにきて販売手法に様々な革新が起きつつある。自由に返品できるサービス、通販の実店舗化・・。いずれもネット時代のなか、いかに消費者の不安を改善するか、という試みである。

 

 

 

 

 

卸1

 

希少価値で独自路線を歩むアパレル卸のアマン

 

 セレクトショップは、一定の価値観で世界中から商品を探し集め、独自のライフスタイルを提案する服の専門店だ。消費者は店の主張に共鳴して長期の顧客となる。あくまで店主個人の思想や嗜好によって品揃えをするところに特徴をもつ。アマンは、百貨店内や路面に店を構える高級セレクトショップに商品を卸すことを業とする。同社が扱うのはイタリアを中心とするファクトリーブランドである。アパレル工場自らの“名前”で製造する商品やブランドのことだ。服そのものよりも有名ブランドの「タグ」がもたらす安心感を売る有名ブランドとは一線を画する。なぜイタリアなのか、イタリアの服は高級感及び先端性がありながらも実用的なものが多い。またどこか脱力感と温もりをも併せもつ、他にない独自性をもつ服だ。イタリアに焦点を絞って無名ではあるが、高いテイストをもつ服を発掘し国内に紹介する事業を行うのがアマンの方法論である。同社が扱うのはアルテアやフィナモレなど24のイタリアを中心とする紳士向けブランドだ。いずれも祖父・子・孫と3代〜4代続くのは当たり前というファクトリーブランドばかりである。「世の人の見つけぬ花や軒の栗」という句がある。中小卸の生きる道もそこにあるのかもしれない。

 

卸2

 

業界の垣根を外したサプライチェーンという発想

 

 小口・多頻度納品、短リードタイム、欠品の少なさなど、日本における流通サービスの水準は高いものがある。全国を網羅する卸の機能があるからだが弊害もある。例えば非効率性である。メーカー、卸、小売の三層での在庫、売れ残り、返品、廃棄などの問題だ。輸配送における積載率低下、入出庫作業、トラック待機時間なども無視できない。キメの細かさが反面、流通生産性を押し下げる一要因となっているのだ。典型が返品問題である。一昔前のような力関係による一方的なものは減ったが今でも返品は存在する。2011年度で卸売業→メーカーのケースで、加工食品が0.97%、日用雑貨で3.14%となっている。金額ではそれぞれ990億円、883億円となるから無視できない。返品の理由は、「定番カット(随時の商品改廃)」32.8%、「納入期限切れ」32.0%、が主なものだ。「定番カット」で返品になる背景は、小売が販売終了まで欠品を恐れて発注し続け、卸がそれに応えるために最後まで在庫を確保することが要因らしい。「納入期限切れ」の場合は賞味期限切れを警戒する小売り側の事情があるらしい。いずれもメーカー・卸・小売の三層全体を、串刺しにしたサプライチェーンと見なして全員で考えないと解決しないテーマである。

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日和下駄

15年7月3・4週<12(日)〜25(土)>

 

 このところ「日本神道史」精読(1回目)。半分ほど進む。一般的な日本史の本も併せ読む。神祇の世界も政治や社会の動きと無関係ではないからだ。

 

 体系としての「神道」が成立したのは、天智・天武・持統の時代だ。この頃、律令統治が完成した。統治者がいずれも優秀だったことと、藤原不比等のような政策リーダーの構想力が利いたのだろう。加えて中国・朝鮮との関係が悪化し国内をまとめあげようというコンセンサスも寄与した。歴史を作るには「人」と「機」が必要なのである。

 

 いくつかの抗争を経ながらも、とりあえず天皇を中心とした古代国家システムは完成した。しかしこの律令システムは100年と保たなかった。諸国の王(豪族)を実力で征服したうえでの大王(天皇)体制ではなかったからだ。各地の王の既得権を認めつつ、妥協した形での大王権であったためだ。例えば各地の国司は中央から任命されたものの、地域経営は実体としての権力者である郡司や里長は地元の豪族が担うこととなった。とても日本的だとは言えるものの、構造そのものに根本的な矛盾を内包したままの妥協体制だから、不比等のような「声の大きな」政策リーダーがいなくなれば体制はもつはずがない。基礎をしっかりと打ち込んでいないから令という建物の耐用年数が短かくならざるを得なかった。

 

 神道も状況は同じだ。建前としては記紀に見られるように、アマテラスが各地に在来する八百万の神々を従えるという中央集権的な体系が構想されていたが、これも多くの国つ神が「生きている」ことを前提にしたうえで、無理やり天つ神の体系に組み入れようするものであり、ひとつの物語である。だからこの構想も時間的にいくらも保たなかった。結局は、中央は畿内の有力社だけを管理するだけに後退し、国つ神の管理は地方に投げ出された。天つを神はとうとう国つ神を支配できなかったのである。

 

 以上のような国家や寺社の統治システムの行き詰まりの背景には、国家ではなく国民経済が胎動し始めたことがある。だから中世という時代にはとても興味を引かれる。再生産という発想はまだないが、人々が利益志向という活力をもって確実に動き出した時代である。時代区分としては、院政の始まりから徳川家康が江戸に開幕するまでを指すのだろうか? 国家統制が弱まったというのか、地方分権が進んだというのか、ともかく中央政府はカネが回らなくなり、地方は豊かになった時代である。荘園という名で民間地主が増え、税金を逃れるために農地を社寺にどんどん寄進していった。資金力をもった寺社たちは全国に系列の寺や神社ネットを作っていくのである。地域には金貸し(この頃になると貨幣経済の勃興が見られる)や運送業者が輩出し金融や物流を担う「悪党」が輩出し戦国大名を生み出す温床となった。また班田収受という令が崩れ、有力農民は新しい農地を開拓し私有化し大規模化し、そのなかから武士が誕生していったのだ。今でも自然災害は尽きないが、当時も同じ状況だっただろう。当時は科学的な知識に欠けていた面もあったためか、当時の人々は病気や天変地異は人の犯した罪に怒った神仏の祟りから生ずると信じられていた。経済力に恵まれた人々は罪を祓い、一身の安寧を祈るため盛んに自社への参詣を行ったのだ。その意味で日本人の神仏信仰のルーツはこの中世時代にあったと自分も考える。

 

 

 

 

日和下駄 15年7月2Wー5(日)〜11(土)

 

 今週は曇りや雨の日が多かった。そろそろ関東も梅雨明け近いか。この一週間、気になったこと。人の心の闇である。まず大分の事件。怒りに任せ、放火しわが子を焼き殺す、どんな事情があったにせよこの心理の飛躍が全く理解できない。次は国立問題。四面楚歌の状況の中でも「解っちゃいるけど止められない」、この心理状態も小生にとっては理解の外だ。同じ理由から「原発」も然り。

 

 今週は、国学院神道の講義があった。今回は仏教との習合についてだ。日本人にとって太古から自然の驚異、天変地異はすべてカミだった。実在する「神」ではない。いつも周囲に感じる恐れ・敬う「モノ」や「気」であった。良いカミ、悪いカミという区分はなく、人間のもつ罪や穢(けが)れが原因でカミは良くも悪くもなるのである。だからカミに祟られないように自らの行いを正しく清浄にしなければならない。これが日本人の原初の発想であった。おそらく仏教の伝来で、初めて日本人は「神」を認識したのだ。どんなに仏教が広まろうと、科学が進もうと神は日本人の傍にいた。現在でも老若男女、神社を参る。日本人には刷り込まれた宗教観だからだろう。

 

「蕩尽する中世」(本郷恵子、新潮選書)を読んだ。中世の時代を「富の移転」、「消費(蕩尽)」という切り口から捉え直し、摂関期→院政期→鎌倉期→南北朝期→室町期を通観する。中央が富を集約する律令システムは400年経過して内部から綻びを来す。跋扈する荘園経済が富を収奪する別ルートをつくり日本は分権化していく。幕府や天皇家は年貢が入らず金づまりに陥り、寺社や院は荘園領主となり集まる富(生産物や銭)で絢爛な堂宇や神殿をつくり、また全国に系列寺社を作ることで大いに蕩尽する。また政権に任命されたはずの国司が勝手なことをして中央に富を移転させずに独り占めするのである。悪党という存在である。疲弊する経済は次第に金貸しの財力に頼ることになる。芽生え始めた通貨経済もそのトレンドを助長した。

 この消費拡大のなかで神道も変わる。担い手が天皇や貴族に加えて庶民がこの世界に参加する。神仏習合によって神道や神社が一般庶民に分かりやすくなったことも手伝った。しかし経済システムとしては再生産がない収奪の構造であることは律令時代と変わらない。いわば焼畑農業のイメージである。内部に抱えた矛盾(エネルギー)はどんどん大きくならざるを得ない。拡大しない経済のなかにおいては、他者のものを盗み我が物とする他はない。戦争が起こるのだ。時代は戦国の世へと移る。本質的な解決は江戸開府まで待たねばならないこととなる。

日和下駄-15年6月4W

日和下駄 6/21(月)〜27(土)

 

 中世船橋の坪井城址を自分なりに比定する、それしても私たちの国は成長には熱心だが歴史を軽く見過ぎる。歴史の痕跡など皆無に近い。

 

 国学院神道を学ぶ、この日は神仏習合がテーマだ。何でも受け入れて自分のものとしてしまう。これが日本の神道の歴史だ。日本の形でもある。寛容というか信念がないというか、いい意味でも悪い意味でも。イスラム教キリスト教とはまるで対極の世界である。

 

 小生が産土の杜と勝手に決めた深川の富岡八幡宮へお参りする。地元の船橋神宮へも。神社はどこも清浄だが各社で雰囲気が微妙に違う。”気”の流れ方というか、性格とでもいうべきか・・。富岡はどこかうちとけた感じだし船橋はおごそかな雰囲気だ。祭神の違いだろうか?(富岡は八満神、船橋はアマテラス)。いずれにせよ社の格式や大小を問わず、自分の好きなお社を見つけておいて折にふれてカミ様に合いに行くことはいいことだと思う。気持ちがよくなりますよ。

 

 引き続き青空文庫で「万葉集研究」(折口信夫)、「海上の道」(柳田国男)を読む(ほとんど理解できないが・・)。

 

 「事前に消費者調査をし過ぎると(商品が)多機能になり過ぎる、消費者行動を観察して機能を磨き込む」というダイソン流マーケティングに納得する。日本の大手の家電品メーカーの対極を行っている。

 

 「消費者にとって、(企業の)店舗数や売上高など規模による一番など規模による一番など無意味。身近な店の品揃えやサービスが良ければそれが一番店だ」。そのとおり。小生は多くの流通企業が、既存店を良くすることをそっちのけにして店舗拡大ばかりに走ることに常から不満をもっている。

 

 微力ながら小生も応援していた募金活動グループ「かよちゃんを救う会」の目標額が集まったようです。かよちゃんはまだ2歳にもならないのに、これからアメリカへ渡って心臓の移植手術を受けるそうです。かよちゃん、早く良くなってね。

 

  以下は執筆する雑誌の7月号に掲載した小生の文章です。

 

相次いで保育所開設に動く総合スーパー

 総合スーパー大手が認可保育所を開設する動きを強めている。セブン&アイはこの4月、首都圏の神奈川・川崎市と千葉・鎌ヶ谷市のショッピングセンター2カ所で保育所を開設した。まずは試行段階だが状況を見て拡充する。総合スーパーなどでも展開を進めることを目論む。イオンも18年春をめどに各都道府県1カ所以上の開設を目指す。一方が新機軸を打ち出すとすかさずライバルが追随するという相変わらずの同質競争の構図ではあるが、今回の保育所運営競争は素直に評価したい。まず保育環境の質向上につながる。待機児童の解消という目標は大事だが、ただ数を増やせばそれで育児の大目的が達成されるわけではない。社会責任をもつ大手流通が参入することで保育の質が高まることが期待できる。次は小売りの商機拡大に寄与することだ。保育所と日常品の買い場である小売業とは親和性が高く苦戦を続ける本業活性化にも寄与できるはずだ。望むらくは、これが契機となって今後、二の矢、三の矢のコト消費への業態開発に繋がって欲しい。一時、高らかに標榜された小売業の生活総合産業化は未だに実現していない。それが現実のものとなれば喧伝されるスーパー衰亡論などはおとぎ話となるだろう。託児所以外にも発想はいろいろ考えられる。街中で行き場を失っている定年退職者が図書館に屯する。またせっせと散歩に精を出している。彼らの行き場所にスーパーは貢献するべきだ。落ち着いたカフェ、有料の図書室などが考えられる。もっと踏み込んで、レンタル書斎などはどうだろうか? 居心地のよいデスクとチェア、インターネット設備(PCは持ち込み)、プリンター、美味しいコーヒー、月5000円なら払ってもよい。

 

足元固めで再成長を模索するヤマダ電機

 ヤマダ電機がこのたび一部店舗の閉鎖を決めた。全国のヤマダ店舗の数は1000店を超える一方、今回の閉鎖は40店舗弱であり、自社チェーン間競合を起こしている店が中心とされる。小売りチェーンにとって、不採算店を閉め足元を固め再成長の軌道の道を探ることは通常の経営行動であるから驚きはない。もっともこれが転機となり同社の従来からの成長戦略が変更を迫られることは確実だ。同社は1990年に、郊外立地・大型店・パソコン重点化という業界初の発想で成長した。その後は専ら買収で企業規模を大きくし総合化の道を走ることとなる。ダイクマぷれっそホールディングスキムラヤセレクトベスト電器などを買収で傘下に収めた。販売構成も大きく変わり、今ではテレビや白物家電が売り上げの6割を占めるに至り最盛期の面影は薄い。住宅を作り売ることまで始めた。初めは尖り鋭かった切り口が成長拡大の中で今は鈍くなってしまった、という状況に陥っているのがヤマダだと言える。いったん立ち止まった形のヤマダであるが、次はどこを目指すのか。住宅建築及びリフォーム市場だろうか。住宅を建てて売れば家電も売れる。高齢化で改築需要も大きい。11年に住宅メーカーのエス・バイ・エルを買収したのはその布石であろうか。

 

ハンドメイドマーケットのECモールの出現

 メーカーが小規模かつ多数、また小売り段階も同様というとき卸の機能が最も発揮される。卸はそこで売り手と買い手をマッチングさせる役割を果たす。川の上下が共に大企業という現代の多くの流通においてはこの構造は崩れつつあるが、今でもメーカー、小売り共に中小・零細という業界はまだ多い。例えばハンドメイド市場だ。作り手は一品からの創作品を作る作家である。買い手は自分のためのオンリーワンを所有したいこだわり消費者だ。しかしニーズはあってもビジネス化は至難だ。作家が自分の作品を小売りするサイトを開設しても、それに素早く反応してくれる消費者はごく稀なためだ。つまりは両者をマッチングさせる卸機能が欠落しているのだ。しかしこの数年で状況は大きく変わりつつある。インターネット上でハンドメイド作品を簡単に売り買いできるよう、作家と消費者を結びつけるサイトが次々と誕生している。mine(ミンネ)、tetote(テトテ)、creema(クリーマ)、iichi(イイチ)などが主要なものだがまだまだ多くあるらしい。もっともまだ萌芽段階であるうえ、現物を手に取って鑑賞できないという難点はあるが、需要は相当程度ある。画期的な流通であると言える。まさにネットの可能性は無限だと思わざるを得ない。

 

卸機能の絞り込みで活路を図る

 大手卸には機能の総合化・商圏の広域化という定石がある。一方、中小卸でも機能を絞り商圏を広げるという定跡があるはずだ。ミヤイリの例を紹介する。同社は東京中央区・横山町の繊維問屋街に立地する従業員約50人の現金問屋である。顧客は大手卸が相手にしない中小の小売店であり、同社の会員になって店に出向き即金で決済し商品を持ち帰る。扱う商品は婦人用のトップス、ボトムス、肌着主体であり、ファッションテイストよりもコモディティ色が強い商品ばかりだ。グンゼやBVDなどNB商品は横山町で最大の品揃えと価格の安さを目指す。自社企画品やノーブランド商品が多いのも特徴である。回転率を重視した経営で月1.5回転、年間18回転を目標とする。つまりは、商品面では、総合化を避けつつ得意なコモディティ分野で圧倒的な品揃えをもち、プライベートブランドを充実させ在庫の高回転を図る。販路面では、大型店との取引をせず中小店を会員化し固定化を図る。流通機能面では、金融機能、物流機能を捨てキャッシュ&キャリー業態に特化する。つまり卸機能の断・捨・離で活路を図る商法である。集客力ある横山町だから可能との見方もあろうが、中小卸の戦い方として評価したい。

 小生の執筆する流通エッセイの6月分記事です。もはや掲載分の本誌は公開済みなので以下にコンテンツを掲載します。

 

発展途上のネット通販

 

 仮に大人向けの精巧な特定のミニカーを欲しいとする。欲しがる人は多くないから実店舗は少ない。当然ながら探索コストは大きくなる。その点でネット通販は利便性が高い。たとえレアアイテムであってもロングテールだから見つける難易度は低い。つまり探索コストは低い。しかし実際に見て手に取りリアルな実感を得ることは難しい。したがって最終的には不安を抱えながらエイヤーと購入を決断せざるを得ない。つまりWinning-hit(決定打)を持ち得ないことがネットの最大の弱点である。この難点をクリアーするために多くの試みがある。例えば返品ができるロコンドの通販システムが急成長している。TSIホールディング傘下のアルページュは東京・新宿に「アルページュ・ストーリー」を開設した。同社の通販サイトを実店舗化した新業態店である。実店舗化は百貨店の松屋も挑戦する。ウェブサービス会社tabが展開するECサイト「tabモール」で扱う全商品を店頭に取り置いている。消費者は試着して気に入れば買って帰ることができる。もっとも上に挙げた事例いずれも試行錯誤の段階であり決め打となり得ていないのが現状である。消費者満足と事業者の採算が両立する仕組みはまだできていない。

 

パンに比べて工夫のないコメ

 

 大丸京都店の食品売り場改装のニュースが興味深い。目玉はパンの強化だ。地元で人気の店など5店を集めたそうだ。今ではどこのスーパーに行っても焼き立てパンのコーナーがあるが、一挙5店舗設置というのは百貨店でも珍しい。実際パンの需要は年々高まっている。家計調査を見ると今ではパンへの支出額がコメのそれを上回る。とくに菓子パンや総菜パンに比べバゲットのような食事パンの人気が高まっているらしい。パンの魅力は何だろうか。まず手軽さだ。買ってすぐ食べることができる。また多様な香りや味が楽しめることも魅力だ、食事用からデザート替わりと選択の幅が広いのである。さらにどこか心に豊かさを感じさせる食品でもある、だから女性に人気があるのだろう。焼き立ての新鮮感も一要素だろう。以上に挙げたような要素は残念だがコメでは得られ難い。もっとも期待候補は日本にもある、国民食のおにぎりだ。手軽に食べられるところが利点でコンビニでも主力商品となっている。しかし多様性やリッチな感覚という点ではパンに負ける。まず見た目に工夫がない。三角、丸、俵型以外には選択肢がない。実際に食べるまで中の具が不明というところも難点である。固定観念からの脱却が必要だ。ホットドッグ型おにぎりなどがあってもよい。

 

中小ネット通販業者向けの物流を受託する

 

 倉庫業などがネット通販業向けに物流センターを設け物流業務を受託するケースが増えている。ネット通販業は消費者からの受注のみに専念し、後方作業となる在庫・保管・出荷などは倉庫業者が行うこととなる。ただこれらのサービスを利用できるのは現在のところ大手のネット通販だけである。総じて月間売上が1千万円に満たないような中小規模の業者においては内部で負担の大きい物流業務をこなしているのが現状である。「オープンロジ」はこの構造問題に着眼して昨年に事業を始めた物流ベンチャーである。同社のサービスの特長は次の通りである。商品の入庫から保管、梱包、配送までを一括で受託することは他の倉庫業者と同じだが、既存のサービスが保管場所の単位面積当たりで課金するのに対し、同社では荷物ごとの従量課金制だ。申し込みから利用までのプロセスも簡略化して、「2分で利用可能」をうたい文句とする。料金も業界最低水準としている。確かに業界型破りのサービス内容であるだけに果たして採算を確保できるのか疑念も残る。他の業者が同社のような戦略を採らないのにはそれなりの理由があるからだろう。もっとも通販物流においてベンチャーが出現した意味は大きい。

 

再び強まる総合商社の川下進出

 

 商社が小売業への関与を再び強めている。商社主導による流通再々編の動きが始まるかもしれない。火を付ける形となったのが2014年末に発表された国分と丸紅の包括提携だ。独立系の食品卸大手でプライドの高い国分、流通の外野手とまで揶揄され流通への関心が薄いと見られていた丸紅という組み合わせである。アナウンス効果は大きく、すかさず伊藤忠商事が動き、出資するファミリーマートとユニーグループの経営統合に向けた協議入り開始と報じられた。食品卸業界は2011年頃から再編が一気に進んだ。三菱商事が傘下の食品卸子会社4社を統合し三菱食品を設立した。伊藤忠商事も子会社の日本アクセスを軸に傘下の食品卸を統合した。冒頭に述べた商社同士の流通覇権争いの幕開けという見方には根拠がある。まずは稼ぎ頭の先細り化である。原油価格の下落に見られるように新興国の経済成長が勢いを失い、商社が得意とする資源ビジネスが不透明感を漂わせているのだ。また流通セクターの生産性が欧米に比べ低いことも指摘できる。商材の吟味、施設の大規模化・省人化など商社のシステム化力をフル動員して効率を改善すれば利益稼得に繋がると見ているのだ。商社から見れば流通業界は宝の山に映るらしい。